伝説の格闘家・武道家直伝!筋トレ馬鹿一代

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このサイトは「格闘技おたく」で「武道マニア」な管理人がある時はディープに綴り、基本は気ままに運営するブログです。レジェンド達の人物像や実践したトレーニング方法などをご紹介します。

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大山倍達、力道山、中村日出夫、黒崎健時、若木竹丸など伝説の人物に焦点を当てます。

徒手空拳の彼らの生きざまをご覧ください。


【在日秘録】ふたりのコリアンヒーロー(大山倍達と力道山のインサイドストーリー)

序章~

1997年夏、山口県下関港に私はやってきた。

異国情緒はあまり感じないが、街中いたるところで見かける道路表示板の案内は、日本語、英語、そしてハングル文字の3種類が使われている。

なぜ、下関港を見に来たのか。

それは力道山や大山倍達、それ以外にも多くのコリアン達が海を渡り、この地で日本にたどり着いた最初の一歩を踏み出した、新たなスタート地点だからである。

現在、関釜フェリーとして定期便が残っているが、これは一九〇五年、日本が日露戦争に勝利し、朝鮮半島や中国大陸へ進出するために、新しい運送機関として関釜連絡船を就航させた「名残り」である。

関釜連絡船は、日本と朝鮮半島を結ぶ唯一の航路で、数多くのコリアンあるいは日本人を乗せ、下関と釜山を行き交ってきた。

この下関と、かつて炭坑の街として栄えた宇部がある山口県は、外国人登録者数における在日韓国・朝鮮人(但し、一万人以上)の占める割合が八十二%と、大阪の八十四%に次ぐ全国第二位であり、その数も1万人を越え全国でも十一番めの多さである。

これらの数値も関釜連絡船の「名乗り」だと言えるだろう。

かつて力道山と大山倍達が、ここ下関港にやって来た時は、彼らも「ただの人」であった。

ここをスタート地点として、日本での生活を始めた二人は、その後、様々な辛酸を嘗めながら、やがてサクセス・ストーリーを歩みだす。

この下関港から、彼らがどのように生きていったのか、いかにして二人は日本のヒーローに成り得たのか、その「後ろ姿」を追ってみたい。

一九三八年、そして一九四〇年、後の日本格闘技界を方向付けることになる。

二人の青年が、朝鮮半島から玄海灘を越えて、下関港に渡って来た。

一人が崔永宜、後の大山倍達。そしてもう一人が金信洛、後の力道山である。

※続きは【在日秘録】ふたりのコリアンヒーロー第1章からどうぞ!